君は空。僕は雲。

思いついたことを好きなように書き連ねるだけのブログです。

学校は集団生活を学ぶ場所か

私は小学校、中学校と、学校に馴染めなかった。

 

私は小学校、中学校と、普通の公立校に通っていた。私の地元はさほど治安が良いわけではなく、ヤンキーというものが日常に住み着いていた。

 

小学校時代は虐められるという経験をした。先生は虐めを解決しようなんてまったく考えていなくて、ケンカの仲裁に尽力していた。そのときに受けた左膝の傷はどうやら去年か一昨年辺りにようやく消えたらしい。

中学校に入ると、私の周囲には学校のトイレで煙草を吸う同級生もいたし、先生と胸ぐらの掴み合いをする生徒もいた。ストレスで退職する先生もいたりと、生活するにはストレスフルな環境だった。

ヤンキーたちは性的にも乱れていて、ヤンキー内に童貞、処女はおそらく遅くても中学生のうちにいなくなったはずだ。高校生の時に子どもができている人も当然のようにいた。

 

当然そのような環境では授業は授業になるはずもなく、まじめに聞こうとする人はいるにはいたが、実際に聞けていたかは定かではない。私も実際学校の授業は睡眠時間だった。その代り、塾で勉強していた。

授業が授業にならず、学校に来ない、来ても先生と問題を起こすヤンキーたちがいる中でも、行事ごとになるとみんなで団結をした。

いや、正確にはヤンキーが「絆」なんてダサい言葉を自分勝手に拡大解釈して自分たちのノリを他人に押し付ける恐怖政治を行なっていたにすぎないのだが。

私も学校生活で面倒なことにならないようにヤンキーの「絆」にノッているフリをした。ノらないと、何が起こるかわからないからだ。とは言っても私の中学時代のヤンキーたちはまだ良心的な方で、自分たちで完結する傾向にあったのだが。

 

私はヤンキーたちに陰キャと評された人たちとある程度は仲良くしていた。しかし、一方でヤンキーたちとも仲良くしていた。そのような人は校内では比較的珍しい方だったのではないだろうか。どっちに向いている自分も何かを隠していたのだが。最近、ある人に、私は自分の内側に誰も入れたがらないと評されたのだが、もしそれが本当なのならばおそらくこの時期に生成されたのだろう。

 

このように私は小学校中学校で生活している中で、物理的強者の圧力から逃げ出すために、自分の感情を隠すことを学んだ。大学生の今、私は完全自分の居場所を見つけ切ったので、何も問題は起こっていないのだが、その当時のことを思い出すようなことはそうそうないし、連絡先を知る人は数人いるが、連絡を取り合っている人は誰もいない。

 

 

ところで「学校は集団生活を勉強する場所」だ、という言説を聞いたことがあるだろうか。私はこれを聞いて、まったく理解できなかった。私の小学校、中学校時代の生活は抑圧の歴史であり、集団生活について何も学ぶことができていないからである。

しかし、今では、その意味がわかるようになってきた。

まず、前提として集団生活とは「異質な他者を受け入れる」ことに等しい。集団の中で不和なく生活するためには、「異質な他者を受け入れる」以外の方法がないからである。

そして、大人になって「異質な他者を受け入れる」ということに失敗した取り返しがつかなくなるらしい。人種差別やテロ事件を見て感じることだ。

では、どこで「異質な他者を受け入れる」準備をすることができるのか。それは唯一子ども時代である。現代は皆学の時代なので、特に学校における準備が大きなウェイトを占める。しかも公立校の場合、そもそも「異質な他者」の範囲が非常に広い。その家の財産もさまざまであるし、本人の性格も、親の経歴もさまざまであるからだ。

そのため、まじめな人からヤンキーまで、振り切れた「異質な他者」たちと交流することができて、大人になってからは失敗することができない集団生活を学ぶことができるのだ。