君は空。僕は雲。

思いついたことを好きなように書き連ねるだけのブログです。

音楽は魔法ではない

最近、夏の魔物フェスで大森靖子とYogee New Wavesの争いが勃発したらしい。大森靖子が「音楽を捨てよ、そして音楽へ」という歌の中で「音楽は魔法ではない」とシャウトする部分があるのだが、それを薄っすら聞いたYogee New Wavesがその直後に「音楽は魔法だ」とMCで言って、その上無断で大森靖子のバンドメンバーのベースを借りたということだ。それを知った大森靖子はぶち切れて、Yogee New Wavesは全面的に謝罪したそうだ。私は残念ながらYogee New Wavesの音楽は聴いたことがない。しかし、大森靖子の音楽は少しだけ聴いている。

 

では、音楽は魔法なのか。大森靖子自身の作った音楽を使いながら、考えていくことにする。

 

最初に、大森靖子の「音楽を捨てよ、そして音楽へ」の歌詞を見てみよう。

 

   脱法ハーブ 握手会 風営法 放射能
   ダサい ダンス ダウンロード
   って言ったら負けのマジカルミュージック


   君話してたこと
   もっと大事だった気がするんだ
   お天気だってよかったし
   お財布だって空じゃなかった
   身体検査の前の日に
   下剤を呑んで軽くなって
   ピョンピョン跳ねたらイジメにあった
   たのしそうなやつムカつくんやって
   画用紙一面の真っ赤な海も
   ブルーにしろって教育された
   友達になりたい子ばっかなんで
   サヨナラも言わずに いちぬけた
   面白いこと 本当のこと
   愛してるひと 普通のこと
   なかったことにされちゃうよ
   なかったことにされちゃうよ
   面白いこと 本当のこと
   愛してるひと 普通のこと
   言わなくても伝わるマジカルミュージック
   抽象的なミュージックとめて

   脱法ハーブ 握手会 風営法 放射能
   ダサい ダンス ダウンロード
   って言ったら負けのマジカルミュージック
   ドキドキしたい ドキドキしたい
   赤い実はじけたい はじけらんないよ
   そこでどうですかマジカルミュージック
   邦楽洋楽夢のよう
   YO! YO!
   んなわけあるわけねーだろ
   音楽は魔法ではない

   隣のババアは
   暇で風呂ばっかはいってるから
   浴槽で死んだ
   私は歌をうたっている
   どういうことかわかるだろ
   ノスタルジーに中指たてて
   ファンタジーをはじめただけさ
   全力でやって5年かかったし
   やっとはじまったとこなんだ

   音楽は魔法ではない

   でも、音楽は

 

この歌の歌詞はおそらく大森靖子自身の覚悟とか、今までの経歴とかを書いているのだろう。学校というシステムには馴染めず、音楽を始めても芽が出るまで何年もかかった。そのような自分を解放できるのが音楽だが、それは魔法ではない。といった意味だろうか。

 

しかし、最後の中途半端に終わる歌詞が気になる。「でも、音楽は」の部分だ。この部分が明示されていないので、私たちはそれを想像するしかない。では、そのほかの歌の歌詞を引用してみよう。

 

「ググって出てくるとこならどこへだって行けるよね」(きゅるきゅる)

これはメジャーデビュー曲の歌詞の抜粋である。当時、彼女はインタビューで、この歌詞はフックでしかない。ググって出てくるとこだったらどこへでも行けるはずがないし。といった趣旨の言葉を残している。

どう考えても確かにそうだ。今現在、ググったら当然のように知的生命体がい得る星が結果に出る。しかし、そんなとこには行けない。

 

「照らせ今 照らせ未来 ぐるぐる回る孤独を照らせ 魔法が使えないなら死にたい」(魔法が使えないなら)

この部分は露骨に自分の「馴染めなかった」経験が歌詞として出ているところである。「魔法が使えないなら死にたい」と極端なことを歌っている。しかし、裏返すと、魔法を使いたいのである。

 

「私のゆめは君が蹴散らしたブサイクでボロボロのLIFEを掻き集めて大きな鏡を作ること」(マジックミラー)

最後はこれにしておこう。これは自分と大森靖子という歌手像の乖離に悩んだ本人がその末に作ったものらしい。ここではおそらく、歌手「大森靖子」としての自負を歌っている。リスナーの心を汲み取った曲を好きなように作り続けるというところだろうか。

 

この辺りの歌を聴くに、(そのほかの歌もあるが)私は「でも音楽は」の続きを書きたいと思う。確かに音楽は魔法ではない。音楽という自分なりの救いを見つけた大森靖子はそれで食べるために5年もかかった。救いなのにそれで生活を変えることができないものが魔法なことはありえない。私自身も音楽で一発で劇的に人生が変わったことはないし、たまにいる突然変異の天才以外の99%の人にとってはそのような経験はないだろう。だから音楽は、魔法ではない。

しかし、自分を救ってくれた音楽は魔法であってほしいし、そのような音楽がないのならば自分は死んでいただろう。

つまり、「でも音楽は魔法であってほしい」となる。と、私は結論付ける。

当然そのほかの結論を導き出す人たちもいるだろう。でも、それも当然正解である。だってそれは「私の幸せ」に過ぎないのだから。